過去のことを見ようとしない者には結局のところ現在のことも見えない |
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2017年 09月 10日
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になる。」
(ワイツゼッカー)
----- 過去のことを受け入れることができない者は結局のところ現在のことも受け入れることができない。 ある集団全体に罪があるとか罪がないとかいうことはない。 罪は集団が引き受けるのではなく、あくまでも個人的なものである。 発覚する罪もあれば、ずっと隠されてしまう罪もある。 罪があってもなくても、われわれすべてが過去を引き受けなければならない。 問題は過去を克服することではなく、誠実に過去を引き受けることだ。 後になって過去を変えたり、なかったことにしたりすることはできない。 記憶とは、過去に起こったある出来事を誠実に純粋に思い起こすことを意味する。 人間が過去に犯した残虐な行為を記憶しようとしない者は、再び残虐な行為を犯す危険に陥りやすい。 人間はどのような悪をしかねないのか、われわれは自らの歴史から学ぶ。 究極的な道徳が完成することなどはあり得ない。 いま人間の善が危険にさらされている。 しかしわれわれは、その危険を繰り返し克服していく叡智と力もまた備えている。 独裁者は常に“偏見”と“敵意”と“憎悪”をかき立てるよう努める。 だからわれわれは他人への敵意や憎悪に駆り立てられてはならない。 対立ではなく互いに手をとり合って生きていくことを学ぼう。 身近な人のことを大切にしよう。 自由を重んじよう。 平和のために力を尽くそう。 正義を自らの支えとしよう。 愛に生きよう。 -----
by omoinoha
| 2017-09-10 07:49
| 八嶋聡のノート
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