目的はただ「秩序を保ち、強くなること」 <ウォルフレンを読む(23)> |
日本の権力者たちにとって、その目的とはいったい何なのか?
その答えは明治以来はっきりしている。
それは「秩序を保ち、強くなること」である。
そして1945年以来、権力者たちは目的が何であるかを討議せずに、制限なき産業の成長を優先させることが自明の善であるかのように、強化し調整し計画してきた。
彼らはそのことを疑おうとすらしない。
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(読書ノート)
ウォルフレン・著 『日本/権力構造の謎』 (14章)支配力強化の一世紀
権力者たちの”システム”の強化は、一見してこの国に大いなる安定をもたらした。
この安定が本物なのか、それとも外観だけであるのか。
それが緊急の問題になるのは権力者たちには対処しきれない事態が生じてそれが危機を招く時だけである。
(それってまさにあの3.11に、権力者たちには対処しきれない事態が生じ、それがいまこの国に本当の危機を招いているということではないのか!)
(つまりまさにいま、これまで安定をもたらしてきた”システム”が本当の危機に直面していて、現在の政治的な混乱は”システム”の存続そのものが脅威にさらされている、ということではないのか。)
権力者たちは”正統性”の問題が表面に出ないように、これまで効果的に対処してきた。
”システム”のさまざまな部分が一部門による独裁的支配を妨げる限り、”正統性”の問題は深刻化しないだろう。
争いに向かう傾向が強くなれば問題が深刻化することは抑制される。
そして争いは、それ自体が政治的に容認されない。
しかし、完全に非政治化された社会体制は存在しないし、存在しえない。
そして皮肉なことに、日本の”システム”はすでに全面的に政治化されている。
”システム”の中核を形成する経済団体の政治的動機や機能ははっきりしている。
現代日本の複合企業(コングロマリット)は、権力構造の不可欠でかけがえのない一部になっている。
これは、”管理者”によって産業の無制限成長が無条件に優先事項とされたことと共に、日本の国際関係における摩擦の根本的要因になっている。
この要素は、国内の緊張とは異なり、危険に十分つながりうるのである。
(つまり国際紛争の火種に十分なりうるということである。)
(14章はここまで。)
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