なぜこの国は鎖国をしていたのか? <ウォルフレンを読む(12)> |
それは、
・支配する相手を(に)、
- 孤立させること。
- 不利な立場におくこと。
- 罪悪感を持たせること。
なので、安易にずるい人に支配されないために、そのような常套手段にはまらないように注意している。
この国は長い間、鎖国していた国なのである。
それは自国民を孤立させておくことが主たる目的だったように思われる。
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(読書ノート)
ウォルフレン・著 『日本/権力構造の謎』 (1章)ジャパンプロブレム
歴史をさかのぼってゆくと、明らかに政治的方策が日本の文化の発展を決定する主な要因であったことがわかる。
日本が相対的にいつも孤立していたのは、その方が権力維持を図るエリートが、外国の文化の流入やその衝撃を容易にコントロールできたからだ。
権力者はまた、外の世界にあるさまざまなもののうちで、自分たちの地位を強化するのに最適だと思われる技術や態度だけを選んで取り入れることもできた。
このように広範囲に文化を管理(コントロール)できるということは、体制を覆す可能性のある思想をもほぼ完全に近く排除(コントロール)できるということでもある。
明治維新とともに統治者となった新しい支配者層は、欧米に派遣された使節団が新しい日本に役立つと考えたものなら、なんでも輸入するよう奨励した。
しかしその結果、必然的に広まることになった体制破壊的な思想は支配者層の弾圧するところとなり、彼らは”往古からの”伝統を広く宣伝しはじめた。
この往古からの伝統なるものは、それまでにあった政治的イデオロギーの断片を拾い集めて彼ら自身が作り上げ、天皇を日本という家族国家の大家長にまつりあげる思想であった。
敗戦の時(1945年)まで、日本の権力者たちは、”危険思想”の排除を仕事とする特別高等警察(特高)を擁していた。
戦後、この特高関係者で、文部省、法務省、運輸省、自治省、厚生省の大臣になった者が6人いる。
現在(1980年代)になっても、日本のナショナリズムの基本的性格は、依然として明治の寡頭政権が作り上げた神話的思想によって形づくられているのだ。
これまでずっと、普遍的な真理や超越的な真理が日本の思想に根づくことは決して許されなかった。
知的勢力が政治エリートの権力を覆すことは不可能だった。
日本の権力者は、知力まで制限(コントロール)できたのである。
実際これまで、どのような法律によっても彼らの権力が制限されたことがない。
日本の知的営みは、時の権力者の意向によって、指導・監督あるいは禁止されてきた。
日本の司法に対する概念や、法律の地位と扱いは、統治者の都合のよいように変えられた。
そして彼ら自身の振る舞いや、統治方法に決定的な影響を与えることはなかった。
したがって、集団生活、会社・集団への忠誠、協調的な傾向、個人主義の欠如、なきに等しい訴訟闘争など、日本の社会の文化の典型的な側面とされている事柄は、究極的には、政治的方策に起因するものであり、政治的な目的のために維持されているのである。
日本人と他の国の人びとの習慣や制度との間に、これほど大きな違いがあるのはなぜだろう、その根源は何なのだろうということだ。
一つの答えは、日本の歴史的な孤立性にある。
だが、いちばん満足のいく答えを出せるのは、政治的な側面からのアプローチではないだろうか。
政治的なアプローチによって、日本の社会形成の背後で働いた強い力をはっきり見きわめることができるからだ。
日本の”システム”は、日本人にとっては逃れ得ないものとなっている。
そして、その根ははるかに深い。
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