思考は矛盾においてしか世界を知覚できない(フロム『愛するということ』) |
鈴木大拙『禅』(ちくま文庫)を読んでいる。
そしてフロム『愛するということ』の中の「逆説の言葉」の数々が思い浮かんでくる。
<逆説論理学の一般原理>(フロム『愛するということ』P114)
「厳密に真実である言葉は逆説的であるように見える」(老子)
「一つであるものは一つである。一つでないものもまた一つである」(荘子)
<ヘラクレイトスの哲学>(同P114)
「反対物の葛藤こそがあらゆる存在の基盤である」
「すべてを含む『一者』が、矛盾を抱えながら、どうしてそれ自身と一致するのかを、彼らは理解しない。
そこには、弓や琴にみられるような矛盾する調和がある」(ヘラクレイトス)
「われわれは同じ河に入っていくのでもあり、入っていかないのでもある。
われわれは存在するのでもあり、存在しないのでもある」(ヘラクレイトス)
「生と死、覚醒と睡眠、若年と老年は、いずれも同一のものとしてわれわれのうちにある」(ヘラクレイトス)
<老子の哲学>(同P115)
「重さは軽さの根であり、静は動の支配者である」(老子)
「道(タオ)はふつう何もなさず、したがって道のなさぬものはない」(老子)
「私の言葉は理解することも実践することもいたって簡単だ。しかし私の言葉を理解し実践できる人はいない」(老子)
「知っていながら知らない(と思う)ことが最高(の到達点)なのだ。知らないのに知っている(と思う)ことは病気である」(老子)
「踏みしだくことのできるような道は、恒久不変の道ではない。名づけられるような名は名ではない」(老子)
「我々はそれを見るがそれを見ることがない、そういうものを『平静なるもの』と名づける。
我々はそれを聞くがそれを聞かない、そういうものを『聞こえないもの』と名づける。
我々ははそれをつかもうとするがつかめない、そういうものを『微妙なもの』と名づける。
これら三つの特質から形容されているものそれ自体は浮かんでこない。
だからこそ我々はこれらを混ぜ合わせ、唯一なるものを得るのである」(老子)
「(道を)知る者は、(道について)(好んで)語らない。
道について語ろうとする人は(どれほど語りたがっても)道を知らない人である」(老子)
<バラモン哲学>(同P116)
「調和(統一は)対立の中にあり、対立から成る」
「現象世界に現われ出ている力や形は、対立しあっていると同時に同じものである」
「二つの対立するものが知覚されるのは、物が対立しているからではなく、知覚する心が対立しているからである」
「真の実在に達するためには、知覚はみずからを超越しなければならない」
<リグ=ヴェーダ>(同P117)
「私は二である。すなわち生命力であり、生命の質量である。同時にその二つである」
「思考は矛盾においてしか世界を知覚できない」
<ヴェーダンタ哲学>(同P117)
「思考は、より見破りにくくなった無知にすぎない。実際それは、マーヤー(現象世界を背後で操る力)のあらゆる惑わし技のうちでもっとも見破りにくいものである」
<マイスター・エックハルト>(同P118)
「人間は最高の実在を、否定的にしか知ることができず、肯定的には絶対に知ることはできない」
「神が何でないかはよく知ることはできるかもしれないが、神が何であるかを知ることはできない」
フロムは述べる。
人は矛盾においてしか知覚できず、最高の唯一の実在である神を思考によって知ることはできない。
思考のなかに答えを求めることを究極の目的としてはならない。
思考はただ、思考によって究極の答えを知ることはできない、ということを人に教えるだけだ。
世界を知るただ一つの方法は、思考ではなく、行為、すなわち一体感の経験である。
それゆえ、正しい生き方が重視されることになる。
(同P118)