愛の反対は憎しみではなく無関心である |
愛することは、「関心を持つ」(能動性)ということである。
「関心がない」(非能動性)というのは、愛していないということである。
憎しみがあるということは無関心(非能動性)ではない。
人は愛を求めているからこそ憎しみを持つのである。
だから愛と憎しみは表裏一体である。
「愛する」とはどういうことか。
「愛は能動的な行為である」とフロムは述べる。
そのことの意味を考え、愛の行為を集めたことがある。
http://home.f00.itscom.net/satoshi/page080.html
しかし愛について、おそらく私には語りつくすことはできない、というのが正直なところである。