傷ついた医者だけが癒すことができる(ユング) |
ユング自伝Ⅰ (P169~)
そのころの私の関心と研究心とを支配していたのは、
「いったい何が実際に精神病者の内面では起こっているのか」という強烈な疑問だった。
患者は、話されていない物語をもっており、それを概して誰も知らないでいる。
私の考えでは治療は個人の物語をすっかり調べあげた後ではじめてほんとうに始まるのだ。
それは患者の秘密であり、彼らが乗り上げている暗礁である。
治療においては問題はつねに全人的なものにかかわっており、決して症状だけが問題になるのではない。
私たちは、全人格に返答を要求するような問いを発しなければならないのである。
診断は患者の役には立たない。
決定的なものは「物語」である。
というのはそれだけが人間の背景と苦しみを示し、その点でだけ医者の治療が作用しはじめることができるからである。
大切なのは、私が一人の人間として他の人間つまり患者に立ち向かっているという点である。
「傷ついた医者だけが癒すことができる。」
私は自分の患者を真剣に取り上げる。
おそらく私も彼らと同じくらい多くの問題に立ち向かわされているのである。
だからむずかしい事態が医者にも起こりうるし、あるいはむしろ、とくに医者に対して起こるのである。
あらゆるセラピストは第三者によってコントロールされるべきである。
その結果、彼は他の見方に対して開かれた状態でいられるのである。
僧でさえ告白者をもっている。
私はいつも「父親的な告白者あるいは母親的な告白者をもちなさい」と分析家に言っている。
私は医者でない人たちが、心理療法を学び実際に行うのに賛成であるが、専門の医者の指導のもとに行わねばならぬと考えている。
あらゆる嫉妬の核心は愛の欠如である。
私は患者を何かに変えようとは決してしなかったし、何らの強制も行わなかった。
私にとっていちばん重大なことは、患者が物事について彼自身の見解をうるということである。
……私の生涯のうちで最もすばらしくかつ有意義な会話は、無名の人々との会話であった。