「人間の自由について」<フロムを読む⑦> |
それは「人間の自由」というテーマです。
人間は束縛から解放されて自由になった。
しかしそれは同時に個人をますます孤独におとしいれ、無力なものとした。
この孤独は耐えがたいものである。
孤独を克服する方法として、人間は二つの可能性の二者択一に迫られる。
人間は、
-「自由の重荷から逃れて新しい依存と従属を求める」か、…(退行的解決)
-「人間の独自性と個性に基づく積極的な自由の完全な実現に進む」か、…(前進的解決)
のいずれか一方しか選択するこができない。
これは「自由からの逃走」や「悪について」の中で述べられている中心的なテーマです。
前進的解決による"積極的な自由"は、自己を実現し、自分自身であることによって獲得することができます。
しかしこの"積極的な自由"は、誰もが無条件に獲得できるわけではありません。
それはまさにその人間にかかっているのであって、スピノザやマルクスやフロイトも、すべての人間がこの自由を獲得できるとは信じなかったのです。
自由の獲得は困難ですが、洞察と努力により獲得しうるものです。
このことを、スピノザは「エチカ」の終わりでこう述べています。
……さてこれに到達するものとして私の示した道は、きわめて峻険であるようにみえるけれども、なお発見されることはできる。また実際このように稀にしか見つからないものは困難なものであるに違いない。
なぜならもし幸福が手近にあって、たいした労苦もなしにみつかるとしたら、それがほとんどすべての人から閑却されているということがどうしてあり得よう。
確かにすべて高貴なものは稀であると共に困難である。
「人間の自由」というテーマについては、いずれ「自由からの逃走」を読んでいく中で、改めて触れたいと思っています。