戦争はすべての価値を逆転させる |
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2016年 12月 25日
<戦争の原因についてのフロムの考え>④ 戦争の継続を可能にするには、他にも攻撃とは何の関係もないもっと微妙な情緒的動機づけがある。 戦争は生命の危険と多くの肉体的苦しみを伴うけれども、人を興奮させるものである。 ふつうの人間の生活が退屈であり、型に嵌っていて、冒険がないということを考えると、進んで戦争に行こうという気持ちは退屈で型に嵌った日常生活に終止符を打ちたい、そしてふつうの人間が一生において期待しうる実に唯一の冒険に身を投じたいという欲望として理解すべきである。 戦争はある程度まで、すべての価値を逆転させる。 戦争は連帯や利他主義というような、人間の深い領域に根ざした衝動を表出させる。 それは平和な時には自己中心主義や競争原理のために表出が阻害されている衝動である。 階級の違いはなくならないとしても、かなりの程度には格差は姿を消す。 戦争においては人間は再び人間となり、彼の社会的地位が市民としての彼に与える特権には関わりなく頭角を現わす機会を得る。 これを誇張して言えば、戦争は平和時に社会生活を支配している不正や不平等や退屈に対する間接的反抗である。 そして兵士は生命を賭けて敵と戦うが、食糧や医療や家や衣服のために、自分の集団の仲間と戦う必要はないという事実は無視できない。 それは一種のゆがんだ社会主義的な方法で、全部支給されるからである。 戦争がこれらの積極的な面を持つという事実は、私たちの文明に対する悲しむべき批判である。 もし市民生活が戦争において見られる冒険、連帯、平等、理想主義の要素を持っていたなら、人びとに戦争をさせることは非常に難しくなる、と結論していいだろう。 戦争をしている政府にとっての問題は、人びとのこの不正や不平等や退屈に対する反抗を利用して、それを戦争目的に向けることである。 同時にそれが政府にとっての脅威とならないように厳しい規律を押し付けるとともに、指導者たちには私心もなく、指導者たちは賢明で勇敢な人たちであって人びとを破壊から守ってくれる庇護者であると宣伝することにより、指導者たちへの服従の精神を押し付けなければならない。 結論を言えば、近代の大きな戦争および古代国家の間のたいていの戦争は、諸国民の要求によって起こされたものではなく、軍事的エリート、政治的エリートの利害と野心によって起こされたものなのである。 (『破壊』参照)
by omoinoha
| 2016-12-25 08:01
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