フロムから見たユング |
ユングを理解していく上で、フロムはユングをどう見ていたのか、ユングの性格のネクロフィラス(死を愛すること)な側面を示す、フロム「悪について」の記述が参考になります。
そして、ユングの夢(自伝ⅠP257)のジークフリードは、やはりフロイトのことだったのです。
夢の解釈を天職とするユングをしてなおかつ、自らの夢の意味を解釈できないことがあったということは驚きです。
フロム「悪について」(P46~)
ネクロフィラスなオリエンテーションは、繰りかえし反対の性向と衝突し、遂には特殊な平衡が保たれる。
ネクロフィラスな性格のこのタイプの顕著な一例はユングの場合であった。
彼の死後出版された自伝において、このことは十分に立証されるのである。
彼の夢にはほとんど常に屍体、流血、殺人があらわれた。
……フロイト自身、その何年も前に、ユングの死のオリエンテーションに気づいていた。
フロイトとユングが合衆国に向かって旅行したとき、ユングはハンブルグ近郊の湿地帯で発見された保存のよく行き届いた屍体のことを熱心に話した。
フロイトはこの種の話を嫌ってユングに、君は自分(フロイト)に敵対する死の願望で満たされているために、屍体のことを熱心に話すのだと言った。
ユングは憤然とこのことを否定したが、数年後フロイトと訣別した頃、彼は次のような夢を見た。
彼は自分が(黒人といっしょに)《ジークフリード》を殺さなければならないと感じた。
彼はライフルを持って出かけ、ジークフリードが山頂に現れた時彼を殺した。
それから彼は自分の犯罪が見つかるかもしれないという恐怖にかられ、おびえていることを知った。
しかし幸いにも豪雨があって、その犯罪の痕跡はすべて洗い落とされた。
ユングは目覚めてから、その夢を理解できねば自殺しかねないと考えた。
しばらく考えてから次のような「了解」に達した。
ジークフリードを殺すことは自己に内在する英雄を殺し、自らの卑下を現わすことに通じていると。
《ジーグムント》(フロイトのフルネームはジーグムント・フロイト)から《ジークフリード》へすこし変わっただけで、夢の解釈を天職とする人をしてなおかつ、この夢の意味を自己から隠蔽しておくことが十分可能だったのである。
いかにしてこのような強い抑圧が可能であるかを自問すれば、その答えは、この夢が彼のネクロフィラスなオリエンテーションを示しているということである。
そしてこのオリエンテーションが非常に強く抑圧されていたため、ユングはこの夢の意味に気づく余裕がなかったのである。
ユングが過去に執着をもち、ほとんど現在と未来には惹かれなかったこと、石は彼が大好きな物であり、子供の頃、彼は神が大きな糞を教会に落としてそれを破壊するという幻想をもったという話を考えるとき、それはまさに的を得ている。
ヒットラーに対する彼の共感や民族理論は、彼が死を愛好する人びとと姻戚関係にあったことの別な表現と考えられる。
しかしながら、ユングは不思議なほど創造力豊かな人であった。
そしてこの創造力はネクロフィリアとまさに対立するものである。
ユングはその破壊力と自己の願望と治癒能力とを平衡に保つことにより、そしてまた過去、死、破壊への興味を、輝かしい思索の主題とすることにより、内心の葛藤を解決したのである。
その映画でもユングがフロイトに死体について話し、フロイトがふらついてしまうという場面がありました。
ユングが「死にそうな老人の夢」をフロイトに語り、フロイトがその老人はフロイトのことではないかという場面もありました。
それを見て、私はユングはフロイトに対し「父殺し」のような感情を持っているのではないかと思いました。
それを確認しようと「ユング」で検索してあなたのサイトに辿りつきました。
映画でもユングはジーグフリードについて語っていました。
ジーグフリードがジーグムンドの言い換えで、ユングはフロイトを殺したいという感情を持っていたとフロムが書いているというのに感心しました。